TPM

吉山 敦
私は、半導体製造工程で、後工程の仕上選別工程を担当している入社歴20 年の管理職。
私とTPM の出会いを振り返ると、事務局に配属となった当時、「全員参加のPM」が導入され、推進役としてその責務を全うすべくスタートラインに立ったことがはじまりだった。
TPM って何だ?」と、専門書熟読、セミナー参加、工場見学、他基地との交流など、あらゆる所へ足を運び、知識をつけ企画書作り、活性化の仕掛け作り、と時間を忘れて取り組んだ。
立ち上げ当初、特に苦労したことは、自主保全活動だった。設備の保守をしたことがないオペレーターに、どうやって展開すればいいのか? どこまでやらせるのか? という悩みと恐怖心が、私の前に立ちはだかっていた。
しかし、いざ設備のカバーを外して、長年にわたって積もり積もった汚れを皆の手で清掃・点検・給油し、休日を利用して設備カバーの化粧直しを自分たちで行っていくうちに、設備はみごとな輝きを取り戻し、快調な動きをしてくれるようになった設備を眺めながら、自主保全の大切さを肌で感じていた。
オペレーターとともに汗をかき、手を汚して無我夢中になっていた。
ステップ診断で合格して、涙して喜ぶオペレーターの顔を見て、それを私自身の活性剤としていた。
いつしか、「私の設備が」とか「あの問題を解決したから一度見に来てください」など、話し言葉にも以前とはまったく異なる心境の変化が表
れ、自分たちの設備を自分たちの手で変えたいという意識の変化を感じたことだった。
軌道に乗り、ステップアップしていた頃、ある設備を担当する一人のオペレーターが険しい表情で飛び込んできた。
事情を聞くと、「私の担当設備が社外に搬出されるそうです」と涙を流
してつぶやいた。私は、一目散に技術部門に駆け寄り、「今まで苦労してここまでやってきたの
に、突然に搬出ですか! 搬出するにも手順があるでしょう! 担当者の気持を考えたことがありますか!」と、激怒した記憶が鮮明によみがえる。
それほどに、情熱と愛情をかけ、TPM と向き合っていた。
そのことがきっかけとなり、繰り返し自主保全の進め方が生まれた。
その後も、TPM に没頭し続け、気が付けば優秀賞第二類、第一類を最短で受賞していた。
導入して9 年が経ったある日の組織発表で、私は製造現場に配置転換となった。
今まではやらせる立場だったが、やる側への変換に戸惑った。
しかし、物作りをしながら活動時間を与えることの厳しさを痛感しつつ、新たな活動に挑戦している。
設備に強いオペレーターは、設備に強い職制が育たないと実現しないと考え、活動や診断に全員参加を取り入れている。
当社も、トヨタ生産方式半導体製造ラインに展開しようと、「かんばん」を使って、後工程から引きを銀賞かける仕組みを導入し、日々研究している。
しかし、どんなにすばらしい生産方式を確立しようとも、物作りの根底となる設備の状態がよくなければ、空回りに終わるということに気付い
た。
製造現場にきて、数々の失敗もある。
突然、メイン製品を生産している設備のエレベーター機能が停止したのである。
原因は、上下駆動用ボールねじの給油不足による強制劣化だった。
忙しさにかまけて、時間を与えなかったため、部品交換ダウンタイムで膨大な損失を出したのである。
それ以来、どんなに忙しくとも時間を取り、保全時間を与えている。
失敗事例を基に、TPM のすばらしさ、自主保全を真剣にやることの重要性を、部下やオペレーターに教え、改善活動に取り組んでいる。
その結果、頻発停止(チョコ停)ゼロ達成事例も生まれ、社内改善コン
クールで、みごと“金賞”に輝いた。また、それに続けとばかり、50 歳代の女性が重さ30 キログラムの金型交換時間のシングル化を実現するなど、幅広く効果を出してくれた。
素直に成果を喜び合い、感動し合った。
私の職場は、30 年を超える老朽設備を、平均年齢48 歳のオペレーターがしっかりと活動している。
これからも、「情熱」「愛情」「挑戦」をキーワードに、活動を深掘りし、楽しみながら全員参加のスタイルを貫く覚悟でいる。
数年後に、皆で「TPM をやっていてよかった」と分かち合うことを夢見て。